ヒトは忘れるイキモノだ。

例えば辛い事があっても、時間を掛けてゆっくりと痛みを忘れる事が出来る。
 大事な人を亡くして、胸が張り裂けそうな時でも、ゆっくりと確実にそれは思い出へと変わる。痛みを忘れるまでは行かなくても、時間を掛ければ痛みを薄らぐ事は出来るだろう。

 逆に、痛くても忘れたくない事もある。
 自分の不手際や失敗なんかは、まぁ軽い胸の痛みを覚えるだろう。ああやってしまった、じゃあこの痛みを教訓に次は絶対に間違えないようにしよう、とか。
 人を亡くした例なら、殺人がわかりやすいかも知れない。大事な人を失った辛さや怒りを忘れてしまえば、犯人を許す事になってしまう気がする。無念でならないこの思いをどうして忘れる事が出来ようか。忘れてしまったら、この心がもっと大きな穴を空けてしまう。
 だから、忘れられない。
 忘れてしまいたくない。

 でも冒頭で述べたように、人間は忘れるイキモノだ。   
時間が経てば当時の記憶やその時感じた思いは薄れて行ってしまう。
 ではどうすれば忘れないか。形に残すのだ。モニュメントでも位牌でも何でもいい。人は具体的な何かがないと、思い出すきっかけや当時の心情を思いだせなくなるのだ。

 それでも人は忘れて行くだろう。
 どんなに忘れたくないと抗いつつも、それでも心の中のアナタを失いたくないと、強く願いながらも。



++++忘却の城



 異変は、あまりにも突然、俺の目の前で起こった。
 俺は料理を習いたいという女性の指南役として、彼女の自宅へと足を運んだ。
そんなに俺の料理が上手いのかというと家庭料理の域を出たか出ないかくらいのレベルだと(自分は)思う。そして女性の方も俺が教える必要があるのかと思う程、綺麗に料理を仕上げて行くのだ。ただ彼女とは料理の腕より他の事で俺は向き合って行かなきゃいけないと思い、何度も足を運び、ようやっとその思いが伝わりその女性とお喋りを楽しんでた時の事だ。

 こんなに時間かかって、その上泣かせてしまって、おれ、怒られますよね、きっと。侑子さんだったらもっと違ったと思います。
俺、アルバイトなんですよ。あ、あの店の店主が侑子さんっていうんですけど。
 髪が長くて真っ黒で、まあ綺麗なひとではあるんですけど。お茶、一緒に飲んだ人ですよ、アイスティ。
 え?そんなはずないですよ。確かに、玄関で対応したのは俺ですけど、応接間で、テーブル越しに向かいあって、侑子さんと座ってたでしょう。俺はその傍らでアイスティ淹れて、時々会話にツッコミ入れたくらいで。
 俺は、侑子さんからアナタの料理の指導を任されて、それでアナタの家まで来たんですよ。
押し掛けに近かったかも知れないですけど…、こうやってちゃんと中に入れてもらうまで一ヶ月以上時間経ってるから、それで分かんなくなってるんですかね?

 …いえ、そんな、はずは、…そんなはず、ないです。
 だって、俺、ずっと侑子さんの店でアルバイトしてますもん…。
 店主のいない店でアルバイトって、だっておかしいでしょう…?
 おれ、何か変な事言ってますかね…?


――――なんだ、これは。


 あら四月一日くん。百目鬼くんも。久しぶりね。学校帰り?もし良かったら私達とお茶でもどう?凄くおいしいシフォンケーキのお店をこの間見つけたのよ。お姉ちゃんアルバイトの帰りにそのお店でケーキを買って来てくれてね。そう、それから妹と私と二人で良く行くのよ。
 え?そう、残念ね、また今度…、お店に戻る?
誰の店?
侑子さん?

それ、だぁれ?


――――なんなんだ、これは!


 侑子さんを知らないなんて!なんでそんな事…!きっと勘違いか何かだ…!
勘違いじゃなければ何でみんな侑子さんの記憶がないんだ!?
 忘れるとかそういうレベルじゃない。最初っからいなかった事になってる!
 あの料理を教えた人だって、双子だって、侑子さんに会ったじゃないか!
 侑子さんに、願いを叶えて貰ったじゃないか!
 あんな綺麗で、眼光鋭くて、ぐうたらで…良くも悪くもインパクトのある、あの侑子さんを忘れるなんて。
 どうやったら忘れる事が出来るのか是非とも教えて貰いたいもんだ!
 それとも俺がおかしいのか?最初から侑子さんなんて人物はいなかった?
 そんなバカな、いくら俺が小さい頃の記憶がないとか、食べた物の味が分からないとか、ひまわりちゃんや百目鬼以外のクラスメイトの記憶がないとか、自分でも良く分からない記憶を持つけど、侑子さんと会ったのは高校生になってからだ。ほんのこの数年の記憶だ。(高校何年生で出会って、今何年生なのか分からないので、ここ数年と表記した)
 ちゃんと出会いだって覚えているぞ。磁石が引かれ合うみたいにあの店に入ってしまって、あの人はいつものソファでダラッと寝そべってた。ああ、あの時 煙管(キセル)を吸っていたな。部屋の中は煙たかったのをはっきり覚えている。
 なのに、さっきの彼女たちの記憶から、侑子さんが消えるなんて、あり得ない。侑子さんと出会ってわずか数ヵ月だろう?
 忘れると言っても、限度があるだろう?消えるはずがない。知らないはずがない!
 ああ百目鬼にも聞けば良かった。お前も侑子さんを忘れちまったのか?
 俺だけが覚えているのか、彼女たちがおかしいのか、ちょっとは比較出来ただろうに。頭が働いてないな。当たり前だ。こんな現実つきつけられてマトモな思考が働くかよ!
 それとも本当に忘れてしまったのか?
 侑子さんに出会い、彼女の力で変わった様々な出来事に感謝もしないで?
 いや確かに中にはそういう人間もいるだろう。受けた恩を忘れて、感謝の気持ちすら持たずに相手の名前も顔も忘れてしまう。彼女たちもそんな人間だったのだろうか。いや、俺が接して来た彼女たちは、そんな人間ではないはずだ。
 それとも俺が「そんな人間ではない」と認識してしまうくらい猫を被るのがうまかったのなら話は別だが。
先ほど受けた恩を忘れて、と言ったがそれは違う。
だって彼女たちは手に入れるモノのため、それ相応の対価を支払っている。
 はっきり言って、それで精算しているのだ。
 だから忘れたっていいし、わざわざ思い出す必要もないのだ。だからこれは俺のそうであって欲しいという願いだ。でも、侑子さんを、いなかった事にするなよ、侑子さんを消すな!

忘れていいはずがない!


(それでいいのよ)


 ふいに、侑子さんの声が聞こえた気がした。

 侑子さん…?
それでいいって、自分は忘れられてもいいって、そういう事ですか?

(そう、彼女達は対価を支払った。結果は彼女達に残るけど、だからといって私を覚えていなければならないと言う事はない)

 俺は嫌だ、侑子さんを通じて知り合えた人達だってたくさんいるのに、その人達から侑子さんが消えるなんて、嫌だ。

 目の前の侑子さんは、しょうがないというような、俺を慰めるような、諦めたような表情をする。

(四月一日、これは、最初から決まっていたことなのよ)

 最初から決まっていた?
 この侑子さんは俺が勝手に創り上げた幻想でしかない。俺が想像した侑子さんなら、俺に都合のいい事を言ってくれてもいいのに、彼女は実に侑子さんらしい事しか言わない。

 なのにまた、不安な要素ばかりが浮かび上がってくる。

 侑子さんに願いを叶えて貰ったひとは、いずれ侑子さんを忘れてしまうのか?
 じゃあ俺は?
 俺はそうだ、侑子さんに叶えて欲しい願いはあったが、まだ対価を支払い終えてないせいで、願いは叶っていない。
 じゃあ俺は侑子さんを忘れないで済む?

(アナタの願いは叶うわ)

 そんなのもういいです!
 もし忘れちゃうなら、叶わない方がいい!
 侑子さんを忘れたくない!出会って過ごした時間をなくしたくない!
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ!

 これは夢だ、夢を見てるんだ、最近変な夢が多かったからな。
 だからみんな侑子さんを知らないとか言うんだ。そうだそうだ。
 さっきまでの自問自答も、なんだ、全然心配する事ないじゃないか。
 だって侑子さんが居なくなることなんてないし、みんなが侑子さんを知らないなんて事もない。
ほら、店だってちゃんとある…!


「いいえ、夢ではないわ」
―――これが本当に現実だと言うのか。これを、受け入れろと?

 …でも。
(くやしい)
 じゃあどうしたら侑子さんを失わずに済むんですか。
(何でおれは彼女に何もしてあげられない)
俺の願いを叶えてその結果は俺に残るとしても、おれはそれを忘れちゃうんですか。
(せめて侑子さんが居たっていう証拠が欲しい)
侑子さん、侑子さん…。
(おれに消えない傷をつけてよ。ズキズキ痛いくらいの傷がいい)



逝っちゃ、やだ…。
(消えないで…)


俺は、どんな事があっても、侑子さんを忘れたりなんかしない。
 この店でまた一緒に暮らすんだ。



(―――でも、わたしは、……)


 アナタが此処に留まる理由になるなら、それもいい。ただ貴方が存在(い)てくれる、それだけで、いいのよ。
それは、本当に私の心からの願い。

足枷になるなら、忘れられた方がいい。
でも私が何をしても、しなくても、きっと、忘れて行くでしょう。

 でもそれを、ほんの少し寂しいと我が侭を思っても、許してくれますか?












『忘却の城』











end.